東京からUターン、都落ち!本当の幸せとは?

樋口さん(仮称)40歳、東京で大手金融機関勤務。

毎日、門前仲町駅から吐き出されるように、人混みの中を通勤していました。突然「もう限界だ!」と言う声が聞こえたような気がしました。

一流企業に勤めて、やりがいのある仕事といい給料と都会の華やかな生活を楽しんでいるつもりでした。しかし日々仕事の緊張とストレスに見舞われているのも確かでした。仕事が終わって帰れば子供の寝顔を見るだけの生活。奧さんともギクシャクし、子供はアトピー皮膚炎を抱えて、皮膚が痒い夜には一晩中起きて体をかいていました。彼も翌日仕事がある為、そんな夜は奧さんに子供を任せきりで自分は別室で寝て早々に出勤していました。彼はこんな生活が自分の望んでいたものか?最近は日々自問自答するようになっていました。そんな時にあの天からの声でした。

この天の声を聞いてまもなく、樋口さんは東京に住むのはよそう、アトピーも自然環境のいい水の綺麗なところの方がいいそうだと思い始めました。このままだと私も家族も潰れてしまうと新しい生活を考えて動き始めました。

まず住む所は、彼の出身地である兵庫県でも地方の田舎の方で、自然は豊ですが何もない所です。しかし、最近訪問すると、大きな農協の建物や立派な公民館が建っていました。結構東京にいる間に変わってきていることを知りました。そこには2年前に亡くなったお父さんが暮らしていた実家があり昔からの旧家ですが敷地も広く、今までは売却を考えていました。「ここに住もうか」とふと思い、その足で農協に勤めている幼なじみ会いに行きました。すると最近は都会からのUターンやIターンも多く、役所には移住サポートをしてくれる窓口があるとのことでした。数ヶ月役所のやり取りの後、ついに奧さんにその構想を話することになりました。自分でさえ兵庫県の田舎に帰るっことはなんとなく都落ちした気分があるのに、都会生活に慣れた妻の理解は得られるのか?と、しかし思った程の抵抗はなく、妻の趣味のガーデニングが思い切ってできると言って喜んでいました。

実家に帰るにあたり仕事は、幼なじみの友人が農協の仕事を斡旋してくれました。従来の仕事を生かせる部署だったのであまり違和感はありませんでした。家と敷地は広いので、妻にはガーデニング用のサンルームを作り庭を自由に使ってもらえるようにしました。子供には、広い庭があるので犬を飼うことにしました。

移住してからの生活リズムは全く変わりました、毎晩家族と食卓を囲み、それぞれの日の報告をしあう家族団欒の時間が増え、お互いに笑うことも多くなりました。それに子供のアトピーもかなり症状が落ち着いてきました、水と空気、それに妻の自慢の手作り野菜まで登場して、ガーデニングで花を育てるより、野菜作りに精を出しています。

東京の時間と今の時間は同じ時間ですが、そこで経験する内容がとても自分たちには価値のあるものに変わりました、とても今の時間が愛おしく贅沢な時間に感じるようになっていました。

樋口さんは、東京に暮らしている時からの相談相手した、最初は自分の稼いだお金を不動産投資でもっと増やしてお金持ちになりたいと言う相談からはじまりましたが、いつしか自分の仕事や生活の不満を話すようになり、移住の前は、少しノイローゼ気味になっていました。そんな落ち込み気味な気分を変えるために、昔の実家のことや楽しい思い出を聞くようにしていましたので、そのようなことも実家に移住するきっかけの一つになったかもしれません。

 

 

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