現代は、お金持ちをランク分けするような言葉はありませんが、昔の大阪では明らかにクラス分けされていました。
「金持ち」「分限者(ブゲンシャ)」「長者」「良き衆」とランク付されていました。
「金持ち」はお金は持っているが社会の為に使わない貯め込んで自分のためにだけお金を使う人。
「分限者」は、5,000貫程度の財産(今なら1億〜5億円程度の資産)を持ち、地域や文化の発展を金銭的に支援する人たちです。
「長者」は、分限者よりは多くの資産を持ち、たくさんの人たちを支援している人たちです。
その上に「良き衆」は、まさに超億万長者で、地域経済にも大きく影響する資金を持ち、例えば、お上に頼らず自らの資金で道をつけ橋をかけ、地域のための建物を作ったり、一種の公共事業まで担いました。また文化や芸術の発展にもお金に糸目をつけず支える人たちです。そのおかげで大阪や近隣地域では色々な文化的なものが発展しました、茶道なども大阪(堺)で発展して行ったのもその一つです。地域貢献と言うことでは、地名にもなっている淀屋橋に橋をかけた商人の「淀屋」さんも有名ですが、大阪の八百八橋と言われる、沢山の橋の多くが民間のこのような人たちにより作られました。
このような「良き衆」の考え方はその後も地域に根付き、戦後にもたくさんの民間の人々の努力で大阪は復興しました。大阪で有名な通天閣は空襲で焼失したのを、地元商店会が復興し予算が足らない分を塔に民間企業の宣伝看板を立てて賄いました。決して国や政府に依存するのではなくこのような民間の人たちが街を支えていくことを良しとしました。
現代は、お金持ちと一括りで呼ばれることが多いですが、昔はそれぞれランク付されていました。是非皆さんには「良き衆」をお手本に、お金を多くの人が「喜ばれること」に活用運用してもらえればと思います。
世間からすれば、いつの時代もお金持ちは、お金の儲け方、使い方に品位を求められていました。
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